• 投稿 瀬戸海恵さん
  • 宿毛市在住の文筆家でアイヌ語研究者でもある瀬戸海恵さんの投稿です。

ふるさと雑記~古い古い時代の我がふるさと~

古い古い時代の我がふるさと

「大化の改新」は、藤原鎌足らが蘇我大臣を倒し、中央集権国家の樹立に向け、大化元(645)年から始まった政治改革だ。
この時から「波多国」「都佐国」は一つにまとめられ、「土佐国」となった。
左の地図は大化前の、まぎれもない「波多国」の地図だ。
これは少し後で述べよう。

土佐神社の祭神(味鉏高彦根神)

土佐坐神社、土佐高賀茂大社、高賀茂大明神などと色々に呼ばれてきた「土佐神社」の前身は矢張り「土佐大神」だろう。
性格の荒々しい雷神としても登場するが、「古事記」には、「この味鉏高彦根神は、今、迦毛の大御神といふぞ」とある。
弥生中期より鴨氏が祀った神だが、四世紀には葛城氏に吸収され、当初とは違う系譜になっている。
「土佐国」は「とうすあんの国」(神おろしの国)だ。

掛け詞(かけことば)

「掛け詞」とは、修辞法の一つだ。
同音を利用して、文脈上二つの意味をもたせるものでもある。
例えば「狩」、「カリ」とはアイヌ語で「化ける」ということだ。
雄略天皇が、葛城山で「狩」をしている最中、天皇と同様の面形をした長人(味鉏高彦根神=一言主神)と会った。それは一言主神の化身だった。その者が不遜の言動をしたので、土佐に流したとある。
さて、「波多国」の地図を見て、目を見開いて驚いたのは、私ひとりでないと思う。

平田曽我山古墳

私たちの宿毛市の形が、そのまま「平田曽我山古墳」の形だったなんて、それこそ天と地がひっくり返った思いだ。
この平田曽我山古墳は、雄略天皇の皇后、「ハタヒノヒメミコ」の母君で仁徳天皇妃の「日向髪長媛」の陵墓だ。
そして近くの「高岡山古墳」二基には「ハタヒノヒメミコ」と、兄の「大日下皇子」が静かに眠っている。
日向髪長媛の父親は、角の付いた鹿の皮を羽織り、多くの水夫を従えて、瀬戸内海を航行した「諸県君牛諸井(もろがたのきみうしのもろい)」だ。
父親の老男の時から、天皇より古墳の築造を許可された日向国造家だ。
牛諸井は、娘の髪長媛を仁徳天皇に嫁がせ、自らは応神天皇の皇女をめとって、畿内王権と密接な関係を盤石にした日向の王だった。
またぶらりと日向髪長媛の陵墓に足を向けてみよう。

鰐には不況和音よ
     桜東風
         海恵

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