• 投稿 瀬戸海恵さん
  • 宿毛市在住の文筆家でアイヌ語研究者でもある瀬戸海恵さんの投稿です。

ふるさと雑記~幡多に残るアイヌの言葉~

「ポオオンノ(ほんの少し)幡多オルシペ(幡多のおはなし)エチ=ヌワ(を聞いて)エン=コレナー(下さいね)」
ある時、アイヌ語の会の仲間たちから白羽の矢を立てられ、アイヌ語弁論大会の、壇上に立ちました。一年に一度きりの「アイヌ語弁論大会」、北海道全域から大勢のアイヌがかけつけ、会場はいっぱいでした。
「決してひるむな!頑張れ!」
私は、自分を鼓舞しながら、前を見据え、「思いの丈」を、しっかり述べました。

「イップリ」って何?

私は、幡多郡宿毛町の生まれです
町の北西の、標高二〇メートルの、山裾台地に、縄文後期の史跡「宿毛貝塚」があります。 その貝塚は、私の幼な友だちの兄がもつ畑で、子ども時代の遊び場の一つでした。
古代のロマンを育む、貝塚の存在は、のちにこの私を、無類の古代史好きにしてくれました。

幡多のことばは土俗的で、出雲族のにおいがプンプンします。
とにかく荒っぽくて、男の子なんぞは、悪さをしようものなら大変。
「おんどりゃあ、何しよんぞ! 泣かすぞお、あればあ言われち、まだ分からんかあ!」
震え上がるような光景は、何度もありました。
今はもう世代の交代で、昔なつかしい幡多弁は、父や母が、どっさりあの世へ持って行ってしまいました。

母は大正十二年生まれ、とっても可愛い、生粋のすくも女性でした。
ありし日の彼女は、時々「イップリ」ということばを使っていました。
「こう言えばああ言い、ああ言えばこう言う」、陽性ヒステリーのことです。
調べても、国語辞典にはありませんでしたが、「アイヌ語辞典」にはありました。

アイヌ語の常識が変わった

「アイヌたちよ、審査員の方々よ、ようく聞いて下さいね。遠い四国の幡多地方に、どうしてアイヌ語があるのでしょうか? アイヌ語はアイヌたちだけのものではありません、私たち日本人の遠いご先祖たちのことばでもあるのですよ」
私は、すべての人々に向かって、問題提起をしたかったのでした。
私は、名前を呼ばれて、表彰台に立ちました。そして次のような講評をいただきました。
「これからのアイヌ語は、もはや、考えなおさねばならない時を迎えたようだ」と。


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