七十八歳の旅立ち
平成三十年二月十三日の朝、私は快い眠りから目覚めた。
いつものように応接間のカーテンを開けると正八幡宮の杜がこんもりと目の前に広がる。
おっと、なんと杉の木立に雪が積もり、それが朝日を浴びて銀色に輝いているではないか。
近年見た事もない不思議な景色で、雪と太陽のコントラストがあまりにも美しく、それまでの私の心のもやもやを一瞬にして、かき消してくれた。
今日は、私の七十八歳の誕生日。今朝の景色のように明るい心で「明日に向かってスタートしよう」と決意した。
交通事故で「運転禁止」
去る二十八年一月二十六日、五十六年連れ添った主人が他界した。
小学校の教員だった主人は、健康そのもので、退職後は、野菜作りや磯釣り、そして時には酒やパチンコ等、静かに暮らしていたのだ。
ある日、おなかの不調を訴て、病院で検査を受けたら結果は悪性の病気で、余命三ヶ月という診断が下り、入院加療、そして残念ながら帰らぬ人となった。
主人が旅立って二週間後、私は交通事故を起こした。
子供たちから即「運転禁止」の命が出て、廃車手続も取った。
それからしばらくの間は、手足を縛られたような心身共に不自由な生活だった。
けれど、間も無く市のコミュニティバス“花ちゃんバス”が運行した。(試験運行は二十八年十月より)、(本格運行は二十九年十月より)、これが交通手段を持たない私の生活を支えてくれるようになった。
特に私たちの路線は、月曜日と木曜日の週二回の運行で、橋上からのお客さんが多く、ショッピングや病院に通う人たちに仲良くしてもらい、バスの中はみんな明るく、ファミリーのような雰囲気で楽しい生活が始まった。
そうこうしている内に、七十八才の免許証の更新手続の案内が届いた。子供たちに伝えると「止めちょった」の一言。
昨今の新聞紙上には、高令者の事故があまりにも多く報道されるので、無理もないと思う。
“花ちゃんバス”に救われた
それでも私は検討中だった。
私が免許証返納をためらったのには訳がある。
交通事故を起こした後、免許証を返納することは、何となく幕切れが悪いし、また、これから無免許となると、俗世間から見放されたようなさびしい立場になり、生来勝気な私としては気が進まなかったのだ。
ところが、このような私をやわらげてくれたのは“花ちゃんバス”の存在だった。
車内やスーパーなどで、皆さんにとてもやさしくしていただくうちに、ほのぼのとした幸福感を味わえるようになり、長い間の免許証へのこだわりが消えた。
二月五日の朝、「そうだ、今日は返納手続に行こう」と決意し、“花ちゃんバス”に乗り、警察で返納手続を済ませた。(運転経歴証明書の交付は二月二十八日である)
「ああ、これが私の等身大の生活だ」と納得した時、肩の荷を下ろしたような晴れやかな気持で帰途に着いた。
無免許でも、笑顔で「発車オーライ」
この冬は、とても雪の日が多い。降っては止み。降っては止み。本当によく降る。そのおかげで二月十三日の朝もすばらしい雪景色を見ることが出来たのではあるが……。
その美しい自然を心から愛でる事のできる私もまた「すばらしいなあ」と自分をほめてやった。
春の息吹を感じる今日この頃、無免許ではあるが、これからの私の人生は笑顔で「発車オーライ」である。