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市民記者の記事詳細

すくも町歩きガイド、勉強会を行いました。

2017-06-19
宿毛市観光市民ガイドの会
旧吉田茂・竹内綱邸
宿毛山内氏 墓地
野中兼山 遺児幽閉の地
小野梓記念公園

「宿毛市観光市民ガイドの会」始動
 6月某日、宿毛市観光協会の面々と市立歴史観でガイドをつとめる宿毛歴史のエキスパートが集まって、宿毛の街歩きをしてきました。目的は、市内に点々とのこる碑石の探索。「宿毛市観光市民ガイドの会」のコース設定のため、まず関係者で勉強会を行ったものです。
 歴史館をスタートするとすぐに「講授館跡」の碑を発見。講授館は宿毛第10代の領主・山内氏固(うじかた:在職1811~1856年)によって天保年間に設立された学問所です。宿毛には優秀な人物なら町人でも武士に取り立てるといった伝統があり、のちに多くの偉人が生まれる理由の一端となりました。
 そして歴史館の北隣には、竹内綱・竹内明太郎・吉田茂の実家である「旧竹内綱・吉田茂邸跡」。竹内綱(たけうちのつな)は戦後の立役者・吉田茂と、重機のトップメーカー小松製作所の創業者・竹内明太郎の実父であり、板垣退助の腹心として活躍した幕末・明治の実業家で政治家でした。
 さらに北にのぼると宿毛城跡につきあたります。この城は戦国の長曾我部氏のころに築かれ、関ケ原の合戦のあと初代宿毛領主・山内可氏(よしうじ:在職1601~1629年)の城となりました。しかし元和元年、幕府発令の一国一城の制によって廃城。以降、宿毛山内家は山麓に居をかまえ政治・軍事の中心としました。伊賀家(旧山内家)邸宅跡は現在、宿毛保育園となっています。
 西隣の宿毛小学校も多くの史跡の上に建っています。現在の東門には講授館が移転した「日新館跡」があり、校庭裏手には明治の歌人・北原志保子、人権活動家・大江卓の邸宅跡が隣り合っています。そこから西にいくと宿毛山内家の菩提寺である東福院があり、山内家代々の墓地や野中兼山遺族の墓地などが苔むした風情をもってたたずんでいます。
 野中兼山は江戸初期の土佐家老で儒学者、高知の人間なら知らない人はいない人物です。在職中に領域の治水工事をはじめ数かずの改革を実行して藩を助けましたが、過酷な労役を強いて民に恐れられたうえ、あまりの敏腕ぶりに同僚たちから恨まれるなどして失脚。本人はまもなく死去しましたが、話はこれだけで終わらず兼山の死後、その血を絶やすため8人の遺児が宿毛に幽閉されました。厳重に囲まれた竹矢来のなかで男系が絶えるまで40年、生後5カ月だった六男・貞四郎の自死によって幕ひかれた悲劇。宿毛小学校の敷地、西南の角に兼山遺児の石碑が建てられています。
 小学校から南にくだると宿毛唯一の酒蔵・東洋城跡地があり、後藤環爾邸、小野梓邸、酒井融邸などの碑をめぐって林有造・譲二邸にいたります。小野梓邸跡地は現在、「小野梓記念公園」として整備され、梓、坂本嘉治馬、竹内明太郎の3名の胸像が建てられています。
 梅雨間の穏やかな空のした、およそ1時間半の街中散策。といってもあるいた距離はそれほどでもなく、碑を探しながら、説明書きを読みながら、のんびり、ゆっくりの道程でした。
 すくも町歩きで特筆すべきは、偉人たちの足跡の多さ。このせまい町内から幕末・明治の英雄が実に21人も排出されたのです。それはひとえに、学問を重視した領主の英明と、土佐の西の要衝で護国の気概を持ちつづけた領民の志のたまものでしょう。宿毛から世界に羽ばたいた偉人たちの足跡をたずねるすくも町歩きガイドツアー、今夏にはご案内を開始します。ご期待ください。