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宿毛の歴史文化道を散策してきました:市民記者の記事詳細

宿毛の歴史文化道を散策してきました

2016-09-01
タイトル1

雄大な自然に育まれた宿毛は、城下町として長い歴史を誇り、江戸時代には対明貿易の基地としても栄えました。
多くの史跡や文化財が残り、歴史散策も興味深い町です。

浜田の泊り屋
幕末から大正時代にかけて高知県西部の各地にあった泊り屋の一つで、現在は、芳奈地区に4か所を残すだけとなっています。ここには、未婚の若者たちが泊り込み、夜間警備、祭りや地方の風俗を継承、集落の行事や運営への協力などが行われていました。国の重要民族資料に指定を受けています。

延光寺
高知県(修行の道場)での最後の札所。神亀元年(724)に行基が開基し、延歴14年(795)に弘法大師が再興し第三十九番札所として定められました。境内には、弘法大師が湧き出させたという「眼洗い井戸」があります。

お雪の供養塔
「土佐物語」に、応仁の乱をのがれて土佐の中村にやって来た公家・一条氏の四代兼定は、鷹狩の時にみそめた百姓の娘・お雪のもとに入り浸り、政治を疎かにしたので、結局家老たちによって中村の御所に閉じ込められ、隠居を強制されてしまい、そのことを知ったお雪は川の淵へ身を投じてしまった、と記されています。

宿毛貝塚
昭和三二年国の史跡に指定されたこの宿毛貝塚は、その規模、出土品の数からいっても四国内でも筆頭クラスのものです。貝の塚(お墓)という意味で貝塚と呼ばれ、それがそのまま集落の名前となったわけです。

野中兼山遺族の墓
野中兼山は多くの治績をあげた有名な政治家であるが、土佐藩主2代目の忠義の隠居後、失脚、その後半年で病死しました。だが、追求の手はゆるまず、寛文4年(1664)3月2日遺子8名に対して罪が下り、40年間宿毛へ幽閉されました。生き残って放免された娘3名のうち四女婉は、高知出身の作家大原富江の「婉という女」の主人公となっております。

押ノ川一里塚
土佐に残る数少ない一里塚のひとつ。経塔は貞享元年(一六八四)に柏島の広布山円明院法蓮寺の住職・日教上人が願主となって、仏祖の得に報じ、国家の恩に報いるために建てた三基経塔の一つです。あとの二つは、長岡郡五台山麓と安芸郡甲浦にあります。

松尾峠
伊予と土佐の境にあたる標高300mの峠。少し歩けば純友城址に展望台が設置されていて、この展望台からは宿毛湾が見おろせます。

石碑
伊予と土佐を結ぶ街道だったため、お遍路さんや幕府の巡見使、多くの旅人が通っていたので、道沿いには道しるべなどが残されています。現在は「四国のみち」のルートになっております。