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39番札所 延光寺

39番札所 延光寺

宿毛市平田町中山にあり、赤亀山寺山延光寺といい、四国八十八ヶ所三十九番札所になっています。 真言宗寺院で、神亀元年、聖武天皇(在位724~49)の勅命をうけた僧行菩薩が開基し、
はじめは鶴亀山施薬院宝光寺であったが、 僧空海が再興するときに赤亀山寺山延光寺に改めたとされています。 またこの寺には延喜11年のものである銅鐘(国指定重要文化財)がのこっています。 この鐘の由来については、一匹の赤亀が小さな鐘を背負って海中からこの寺山にはい上がって来たと言われていて、 これにちなんで山号を赤亀山としたという伝承がのこっています。


土佐路の西南端、「修行の道場」最後の霊場である。
現在の山号、寺名の由来にかかわる竜宮城の縁起からひも解こう。時代は平安中期、延喜11年(911)のころ、竜宮に棲んでいた赤亀が背中に銅の梵鐘を背負ってきたという。僧たちは早速これを寺に奉納して、これまでの山号、寺名を「赤亀山延光寺」に改めた。この梵鐘には、「延喜十一年正月…」の銘が刻まれ、総高33.6cm、口径23cmの小柄な鐘で、明治のはじめ高知県議会の開会と閉会の合図に打ち鳴らされていたともいわれ、国の重要文化財に指定されている。


縁起を寺の起源にもどそう。神亀元年に行基菩薩が聖武天皇(在位724〜49)の勅命を受けて、安産、厄除けを祈願して薬師如来像を彫造、これを本尊として本坊のほか十二坊を建立したのが開創とされている。当時は、薬師如来の瑞相にちなんで亀鶴山と称し、院号は施薬院、寺名を宝光寺と呼び、また、本尊の胎内には行基菩薩が感得したという仏舎利を秘蔵したと伝えられている。
弘法大師がこの寺を訪ねたのは延暦年間(782〜805)で、桓武天皇(在位781〜806)の勅願所として再興、日光・月光菩薩像を安置して、七堂伽藍を整えた。このとき大師が錫杖で地面を突いて湧き出た霊水が、今日に伝わる「眼洗い井戸」である。

延光寺の見どころ

眼洗い井戸

本堂の右手。大師は「宝医水」と名づけ、眼病にも効くとされ、眼の周りを浸している遍路さんが多い。

延宝8年(1680)建立の石碑
江戸前期。36度の四国遍路をした高林玄秀の石碑。

大赤亀の石像
竜宮城伝説を象徴しており、赤い大きな亀が背中に鐘を乗せた姿をしている。仁王門をくぐった右手にある。

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