• 一宮鹽竈(いっくしおがま)神社
  • HOME
  • 一宮鹽竈(いっくしおがま)神社

宿毛市片島にある海の神様。
航海安全、交通安全、安産、縁結び、初恋成就などにご利益のある神社です。
地元・片島に方々によって大切にされ、10月の例大祭では地元中学生による巫女舞や獅子舞などの奉納が行われます。

また大晦日から元旦にかけて参道がキャンドルでライトアップされ、大みそかの夜11時30分からは地元の若者による獅子舞、年があけると巫女の舞が奉納されます。
初詣はぜひ、宿毛の一宮鹽竈神社にご参拝されてはいかがでしょうか。
  

【神社の由来】※石原光訓さんが調べてくれました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
片島にある一宮鹽竈(いっくしおがま)神社は、林有造が宮城県から勧請した鹽竈神社に宿毛の産土神である一宮神社を合祭したものです。

片島の神社史によると、一宮神社は勧請年月や縁起沿革などが定かでないものの、味耜高彦根命(あぢしきたかひこねのみこと)を祭神とし、応永25(1418)年には一宮大明神と呼ばれていたとのこと。和田村神内(現松田川小学校下の八坂神社の場所)に鎮座し、歴代の領主が祭主となって祀ってきたとされています。
明治維新の際に、土佐郡一宮村(現在の高知市一宮)の土佐神社に合祭の令がありましたが、古来より当地に鎮座する神様を遠隔の地に合祭することに地元の人は承服できず、各村人たちが協議して、この神を各村の総鎮守として宿毛市土居下東本城山(宿毛城)に祀ることを願い出て許可され、明治4(1871)年に移転し、一宮神社と改称し、翌年新たに社格を定め、郷社となったとのことです。その後、旧領主12代伊賀氏廣と中央政界の重鎮・林有造が引退後ともに宿毛で過ごすなかで鹽竈神社への合祭を申し出て許可され、大正6(1917)年、片島の鹽竈神社に鎮座することとなりました。

昭和28(1953)年、宗教法人一宮神社と登記されました。
例年10月12日が秋の例大祭ですが、現在は10月の第4日曜日に執り行われています。

神社の敷地は林有造により寄進されたもの。大正3(1914)年、第12代宿毛領主となった伊賀氏廣の手によって神社前の林有造所有の山林に銅像建立の造成工事が行われ、大正4(1915)年、宿毛出身の彫刻家・本山白雲によって銅像が設置された。しかし昭和18(1943)年、その銅像は軍に供用されたとのことです。その後昭和43(1968)年、明治維新百年祭の記念行事として像が再建され、現在に至っています。

一宮鹽竈神社では、2月3日に厄除け、輪くぐりをし、秋祭りでは獅子舞と巫女舞が披露され、牛鬼も繰り出します。大みそかの12月31日には午後11時30分頃から獅子舞が舞われ、ちょうど日付が変わったところで巫女さんの踊りが奉納される慣例です。
昔からそういう風習になっていて、片島の人たちは、日付が変わる頃に一宮鹽竈神社を参拝するのが習いとなっています。

昭和50年代の高知新聞アーカイブスによると、片島区の獅子舞は、当時の古老に聞いても定かではなかったようだが伊予から幡多郡大月町竜ケ迫に渡った獅子舞の分家ではないかといわれているます。昭和40年代に一度途絶えましたが片島青年団が中心となって復活させ、一宮鹽竈神社の祭礼にて演じられています。平成12年4月に片島獅子舞保存会が設立され、片島の伝統芸能である獅子舞の継承に力を注いでいます。

昭和50年代の獅子はシュロで作った古いものであったが、平成17年には大小の獅子頭を新調。獅子舞は、鐘と太鼓がはやすリズムに合わせて1つの獅子の前脚に1人、後ろ脚に1人の計2人で協力して舞うものです。かつては片島地区内の600世帯を全て一戸一戸踊ってまわり、住民の健康と繁栄を祈願していたとのことです。