• 山田八幡宮(山奈町)
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戦国時代に土佐7雄の盟主であった土佐一条家の初代当主・一条房家(いちじょうふさいえ)が、一条家の武勲の神様である八幡様を祀るため造営した神社。1488年(長享2年)。
秋の大祭で「流鏑馬」(やぶさめ)の行事が行われていたことで有名です。残念ながら流鏑馬は現在中断されていますが、毎年行われる秋の例祭では伝統のお神楽や神輿のお練り、巫女舞など、趣ある神事が古式ゆかしく執り行われています。
   

高知県の有形文化財に指定されているかぶとの大鍬形(おおくわがた)が収蔵されていました(「金銅大鍬形」1978年指定、現在は宿毛歴史館で厳重に保管・展示されています)。鍬形とは、武士のかぶとの前に立てる鍬の形をしたかざりのこと。山田八幡宮の大鍬形は高さ、幅ともに1mはあり、日本一の大きさを誇ります。金銅でつくられ、もとは金の渡金が施されていました。わずかに残った墨書名により、室町時代の文安元年(1444年)、山田の伊与田能重が奉納したことがわかっています。この大きさと重さのため実用品だとは考えられず、おそらく武運長久を祈って神社へ奉納されたものだと推察されています。

※流鏑馬=疾走する馬の馬上から鏑矢を射る日本の伝統的儀式。平安末期、鎌倉時代から広く武家社会で行われていました。