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宿毛歴史館のとなりにある「宿毛まちのえき林邸」は、宿毛の発展につくした政治家で実業家の林有造と、息子・譲二の邸宅です。(以下、敬称略)
林家は、有造と譲二、孫の迶と、日本で初めて3代つづけて大臣を輩出した名家。とくに林有造は、板垣退助らとともに自由民権運動を興した中心的人物で、林邸は多くの政治家らが集う自由民権運動の拠点でした。→宿毛まちの駅 林邸

有造は明治政府で初代高知県令、衆議院議員、通信大臣、農商務大臣などを歴任し、明治42年に政界を引退して宿毛に帰郷(67歳)。当時、人の住んでいなかった“片島”に港と道路を通して物流を整備し、新田を開発。宿毛の発展の基礎をつくりました。また、宿毛湾で真珠養殖に取りくむなど故郷の産業振興にも尽力してくれたのです(有造が宿毛で興した真珠養殖事業は、世界で初めて真円真珠の養殖に成功しましたが、事業化に乗り出したとたんに大型台風におそわれ山が決壊、養殖場に大量の土砂が流れこんだため貝が全滅し、海も汚染され、あえなく事業継続が不可能となりました。※真珠養殖技術は愛媛県愛南町に移転されました)。

また、有造の次男・譲二も政治家として戦前は宿毛町長、高知県県議、衆議院議員を歴任。戦後は第1次吉田茂内閣で内閣官房長、第2次吉田茂内閣で副総理・厚生大臣、衆議院議長などをつとめ、譲二の長男・迶は第2次中曽根内閣の労働大臣、次男・遉は宿毛町長と、日本と宿毛の政治に大きく寄与してくれました。
林有造林譲二(宿毛歴史館HPより)

↑現在の林邸

↑改修前の林邸