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宿毛市役所の裏手にある「宿毛天満宮」の境内の脇から、登山道のような山道を30~40分ほど登ったところに、宿毛金毘羅宮が鎮座しています。
通称「こんぴら さん」。

お宮までの道路は舗装されておらず、インターネット上の地図にも表示されない、宿毛の“隠れたパワースポット”です。徒歩でしか行けませんが、ウォーキングがてら、ぜひご参拝ください。

海の神様として漁師たちから信仰をあつめているほか、毎年10月に行われる「市民祭宿毛まつり」において、ふもとの町からお宮まできつい参道を全力で駈け上がる奉納行事「こんぴら男」の舞台としても知られています。→宿毛のこんぴら男

もとは文禄元年(1592年)、長曾我部元親(ちょうそかべもとちか)の家臣・野田甚左衛門(のだじんざえもん・宿毛左衛門)が宿毛領主となった際、松田城の背後の山に祀った金毘羅大権現が起源だといわれています。

江戸時代には、領主の宿毛山内家の自祭神として、一般住民は入山不可とされていました(宿毛領主の“いざ”というときの隠れ家、本陣を置く場所として秘匿されていたとの説があります)。

幕末、祭主だった宿毛山内家(維新後の名は伊賀家)は宿毛を去り、祀る人もなく朽ち果てていましたが、明治11年、宿毛の村民・平井友蔵に金毘羅宮の祭神・具毘羅(ぐびら)神のご神託が下がり、村人総意により再興を決起、艱難辛苦のすえ、讃岐象頭山(さぬきぞうずさん、金毘羅宮の総本宮、香川県琴平)から御分霊をうけたとの記録があります。
讃岐象頭山は社則で分霊を禁じており、讃岐に派遣された村民4名は祭神の勧請をうけるため命がけの交渉をしたとのこと。勧請が成功し、御分霊をみごと宿毛に連れ帰ったときは、村人総出の奉迎となりました。

このように、宿毛金毘羅宮は市民から愛され、大切に信仰されているお宮です。
参道の途中に木々が一瞬ひらける場所があり、そこから見わたす宿毛の街と湾は風光明媚な眺めです。
  
また、鳥居の手前に手洗岩としておかれている岩臼は、もとは宿毛市栄喜(当時:栄喜村)の海岸で臼礁(うすばえ)と呼ばれていた大岩。明治14年、宮に寄進するために切り出されました。
宿毛金毘羅宮にお越しの際には、ぜひ臼礁の清水でお手を清めてご参拝ください。

参考:「宿毛金毘羅宮勧請由来記 小説 武平山の風 神栄社」岸本雅利著 平成5年10月10日発行

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【宿毛金毘羅宮の参道】
※宿毛市役所の北にある「宿毛天満宮」の境内脇に、宿毛金毘羅宮の参道入口があります。
  

※お宮まで、急な山道を約40分。途中で景色が開けた場所があり、もう少し行くと石碑とベンチあり。
  
※そこからの尾根道は、神様の道らしい神聖な雰囲気が漂います(参道の途中にも鳥居あり)。
  
※参道の突き当りに御手水あり。明治14年、宿毛市栄喜の海岸にあった「臼礁(うすばえ)」という名の岩が寄進されました。

※御手水で身を清めると、ご神前まではもう一息。がんばって最後の石段を登りましょう。
  
ようこそお参りでした。